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コミュニケーションが取れない、緊張する…それって私じゃん!

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札幌で女児を監禁されてた事件、解決してよかったですね!

女の子は無事に発見され、ご両親をはじめ周囲の方々はどんなに安心され喜ばれたことでしょう、TVの報道を見て毎日心配してました私たち日本中の人たちも女の子が生きて帰ってきたことに胸をなでおろしてます。

犯人は女児の近所に住む26歳、無職の男でした。

若い男が少女漫画を4冊持っているのを不審に感じて通報したタクシー運転手さん、お手柄ですね。

女の子が監禁されていた間の苦痛、恐怖、悲しみ、絶望感はどんなにか大きかったことでしょうね、この一週間に受けた心の傷を想像しようとしても経験のない者には想像もつかないけど涙が出てきます、女の子が一日も早く心身の健康を取り戻して安心して日常生活に戻っていけることを心から祈りたいです。

さて、この犯人の26歳の男ですが、写真で見たかぎりでは弱々しい大人しそうな印象を受ける顔立ちですね。

この男は人とコミュニケーションを取るのが苦手で、人前では緊張して話ができないということを苦にしていたそうですね。唯一心の悩みを打ち明けることができた知人はこんな感じの彼だから就職は無理かなと感じていた、友人もいないと話してたとTVの取材で語ってました。

それを見聞きしてたら、人とコミュニケーションを取るのが苦手で人前で緊張して話ができないって、それってまるっきり私と一緒だ~と、この小さい女の子を誘拐して監禁した犯人との共通項を発見してしまい、何だかな~と気分になってしまいました。

私も本当にそうなんです、人とコミュニケーションを取るのが苦手だし、人前では緊張するし話もダメだし…。

でも、でも、だからといって他者を巻き込む犯罪などは絶対しませんよ、したことないし、これからもしないと断言!

うちの高校生の娘も自分のことをコニュ障だと言って少し悩んでいるみたいです、最近の若い子はコミュ障なんて言い方するんですね、あと最近の若い女性アイドルなんかのブログを見てると自分のことをコミュ障と言ってる子って結構見かけたりもして、

な~んだ、こういう人って自分だけじゃなくて結構たくさんいるんじゃんて思うと、それで自分のコミュ障(ちょっと若ぶって私もこの言い方しちゃいます)が治ったわけじゃないけど、ちょっと気が軽くなる気がしませんか?しない?

ちょっと私お気楽かしらね、私は自分だけじゃなくて他にもこういう人がいてくれると思うと、ちょっと肩の荷が下りたような気持ちになりますよ。

この犯人と同じような悩みを持ってるヒトは日本中世界中にたくさんいると思いますが、大抵の人はだからといってこんな犯罪はしないはずです、当たり前ですね!

いい年をして(26歳という年は年配者から見ればまだまだ全然若くて、羨むべき若さなんだけど)就職もできず、正社員はおろかアルバイトも務まらず、あ、この犯人の詳細を知ってるわけじゃないからこのとおりじゃないかもしれませんが、友人もいず、異性との交際なんて夢の夢、親に食べさせて貰っている不甲斐ない自分、

まっとうに仕事をして友人や彼女がいてそれなりに青春を楽しんでるかに見える同世代の人と、自分を比較して劣等感を持ち惨めな卑屈な気持ちで生きていたのかもと、これは私の勝手な想像にすぎませんが、20歳過ぎてから自宅で両親相手に暴れるようになり警察まで呼んでたと近所の人も話してましたね。

こういった鬱屈した男に友人ができるはずもなく、女性にも相手にされないであろう、しかし小学校中学年以下のまだ批判能力が発達していない小さい女の子であれば意のままになるかも…。

だから小さい子を狙ったのかしら?どうなんでしょ?わかりませんが。

小さい女の子を誘拐したこと監禁したことは理解もできないし絶対に許せませんが、

コミュ章と人前で緊張するということに関しては理解も同情も出来ますね、私。だって私も同じタイプだから。

私がこの症状が一番ひどかったのは10代から20代にかけてでした。さすがにこの男と同年齢の26歳頃には、この症状が解消されたわけでは全然ないけれども、ちょっぴりマシになってたように思います。

今はもう50歳というアラフィフ世代の私のコミュ障は治ったわけでは全然ないです、今でもそうです、ただ若い頃と違って自分がコミュ章であることを余り悩まなくなったというのが自分に起こった変化、こういうのを年の功というのかもしれませんが、

コミュ章を抱えていても余り悩んでないから、日々のうのうと暮らしていけてるんですね。

どうして悩まなくなったかというと、多分20代の半ばくらいかその少し前ころに、

他人は自分が思うほど、自分のことを見てない、何とも思ってないということを、

心底から実感できるように変わったからです。誰かに何かを言われたからなのか、何かの本の影響を受けたからなのか、そこらへんは全く覚えてないのですが。

これ本当に大事です、

若いときって自意識過剰で必要以上に人の目を意識して苦しくなってしまうんです、そしてのびのびと振る舞えずに自信を失っていく、こんなパターンで生きている人が多いと思いますが、

ねぇ、ねぇ、人は自分が思うほどあなたのことを気にしてないよ、あなたのことを一日中考えてもいないし、一日中あなたのことを噂してるわけでも悪口言ってるわけでもないよ、

だから、人のことなんか気にしなくていいんだよ、コミュ障だろうが人前で緊張しようが話ができなかろうが、別にそれで他人に迷惑をかけてるわけでも何でもないんだから、そんなに悩まなくていいんだよ、私は私だ~。

多分、私は20歳ちょっとすぎぐらいに、上記のような心境にだんだん変わっていき、それ以降はあまり悩まなくなってきたのでした。

私の話が同じ問題を持ってる人の全てに役立つわけではないけど、たった一人でもいいけど誰かの悩みをちょっぴりでも軽くできたらいいな、嬉しいなと思って、

文才のない者がPCのキーをカタカタ叩いてます、自己満足かしらね。

あとですね、昔私はキリスト教の教会に通ってた時期があったのですが(今は行ってません)

そこでね、「数えてみよ主の恵み」という歌詞が出てくる歌を歌ったのが今も凄く心に残っているんです。

自分の持ってないものを数えるのではなく、自分の持っているもの与えられているものを数えて、あ~ありがたい神様のお恵みだ~と感謝する歌で、これが非常に明るいいい感じの歌で私はこの歌が大好きになったんです。

たとえば、女児を監禁した男になりかわって言ってみると

●自分には26歳という若さがある!

●一人暮らしをできるだけの健康も知識もある!

●無職で友人がいないけど、そのかわり時間がある!

●時間があるから、自分の興味があること好きなことを勉強したり打ち込む暇がある!

●無職だけど、所有しているアパートに住まわせてくれる親がいて経済的に困らず生活できてる!

などなど今現在自分の持ってる恵みを数えて歌うんです、そうすると何か心強いハッピーな気持ちになってきませんか?

間違っても、コミュニケーションが苦手とか、人前で緊張するとか、話が出来ないとか、自分の心が暗く苦しくなるようなものを数えてはいけません。

と、このブログ記事を書き出したら、物凄く久しぶりに昔歌ったこの歌を思い出し、心がほわっとあたたかくなりました、正確にはどんな歌詞だったかしらん?恥ずかしながらうろ覚えで語ってたのよ、ちょっと調べてこようっと、しばしさらば。

じゃ~ん帰ってきました、聖歌604番「望みも消え行くまでに」というタイトルの歌でした、これ歌詞もいいけどメロディーが凄くいいんですよね、これ歌うと暗い気持ちがどこかへ行って明るい気持ちに変わる気がしますよ、動画等もあるから、何か悩みがあるひとは聴いてみてね。

「望みも消え行くまでに 世の嵐に悩む時
 数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
 
 数えよ主の恵み  数えよ主の恵み
 数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み」

キリスト教の歌を勧めて終了って、これを書き出した時には思いも浮かんでなかっ締め方で失礼します、文章ってあっちゃこっちゃ転がっていきますね、私のような素人の文章は。


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